新世紀のイブはその林檎を齧らない。

過去の話。


夜に、小さなおはなし声で目を覚ますと、
お父様とお母様が、女の人を前に何かお話をしていた。

「……でも、あなた。ロボットに子守を任せるなんて、私、心配だわ」
「大丈夫だよ。ロボットは人間に危害を加えない。そう決まっているからね」
「でも、万が一ということもあるでしょう?」
「そう心配しないで。デイジーの事は何があっても守るべき存在としてプログラムしておいたよ。」
「……そう…」
「何があっても、所詮はロボットなんだ。在るものは有用に使わないとね」

小さな声のご相談はよく聞こえなかったけれど、
お目目がぼんやりしてきて、とても眠たくなってきたから、
すぐにベッドに戻って毛布にくるまった。
ふわふわのベッドの中で、その日はお星様の海を泳ぐ夢を見た。


次の日、お父様とお母様に呼ばれてリビングに行くと、
昨日の女の人がこちらを見ていた。
お母様は少し心配そうなお顔で、デイジーの背中を押した。

「デイジー、今日からこのロボットが、貴女のお友達よ」

優しい声でそう言われ、改めて目の前の女の人を見上げた。
何だか冷たい目をしている、と思った。

「HALです。よろしくお願いいたします。お嬢様」

女の人はそう言って頭を下げた。

「はる…?」
「はい、H、A、L、でHALと申します。」

…何だか、不吉なお名前。
なんとなくそう思った。
デイジーが口を尖らせたままでいると、HALは少しだけ唇を曲げて、
にっこり、笑った。
お目目は、全然笑っていなかったのだけれど。

「ねえ、マーシーは?」

一昨日まで来てくれていたお世話係の人の名前を聞くと、
お父様は少し笑って、

「マーシーは、今度自分の赤ちゃんが出来ることになってね、お休みを取っているんだ」

と言った。

「大丈夫よ、HALは、貴女のお願いなら何でも聞いてくれるから。
してほしいことがあったら、何でも言うのよ」

お母様は優しくそう言ってくれたけれど、
小さい時から一緒に居てくれたマーシーが居なくなってしまった寂しさと、
目の前のHALに対する何だか気に入らない感じで、
もやもやしたまま黙って立っていると、玄関のチャイムが鳴った。

「いけない、あなた、もう時間よ」

きっとお父様とお母様の会社の人がお迎えに来たのだろう。
お父様とお母様は慌ててカバンを持つと、リビングの入口に向かった。

「それじゃ、お仕事に行ってくるから。良い子にしてるのよ」

お母様はぽんぽんとデイジーを優しく抱きしめると、慌ただしく出て行ってしまった。
いつもの事だけれど、いつもはマーシーが居てくれる。
でも、今は突然引き合わされたHALという存在しか居ない。
何だか急に寂しくなってしまった。
しょんぼりした気分のまま、リビングのソファに乱暴に座り込むと、
HALが傍にやってきて、デイジーの顔を覗き込んできた。

「お嬢様、昼食は何をお召し上がりになりますか?」

冷たいHALの目を見つめながら、お母様の言葉を思い出す。
何でも言うことを聞いてくれると言っていた。

「……ハンバーグ」

マーシーは、あんまり沢山お肉は食べさせてくれなかったから、ちょっとだけわがままを言ってみた。

「承知しました」

HALがあんまりにもあっさり聞いてくれたから、びっくりしてしまった。
マーシーだったら、昨日もお肉だったから、お魚にしましょうね、
とか言って、ムニエルなんかになるのに。

…。

お昼に出てきたハンバーグはとっても美味しくて、またびっくりした。
まるでお店で食べるみたいな、ふわふわのハンバーグ。
デイジーが食べている間、部屋の入り口で黙っているHALにふと声をかける。

「…HALは、ご飯、食べないの?」
「私に食事は必要ありません」

そっけなく返されて、デイジーが少し口を尖らせると、HALはすこし困ったような顔をして、

「ご希望であれば、ご一緒に食事をいたしますが」

と、言った。

「必要ないなら、別に無理しなくていいもん」

少し寂しく思いながら、食事に戻る。
結局HALは、デイジーが食べ終わるまで黙って立っていた。


******


それから随分HALと一緒に過ごした。
冷たい感じは相変わらずあるけれど、何でもしてくれるし、
たまにちょっとだけ口うるさい感じも、そんなに嫌いじゃなくなっていた。


…嫌いじゃなくなってはいたのだけれど。


デイジーが大きくなるにつれて、お父様とお母様とHALはきっとグルになって、
色々口うるさく言ってくるようになった。
レディはこうあるべきとか、どうこうとか。
きょういくほうしんのてんかん、か何かは知らないけれど、
子どもだからって何でも言うことを聞くと思わないでよね!
ちょっと間違ってきたから直ぐ修正とかデイジーはロボットじゃないんだから!


薄いコートと、貯金箱をひっくり返して集めたお金と、
パンを少し、カバンに詰め込んで、こっそり窓から家を出た。
デイジーは、“とうひこう”するんだから!
格好良い王子様は一緒じゃないけれど、そんなことは気にしていられない。
夜でも明るい街に向かって走り出す。
困ればいいんだわ!
デイジーが居なくなって、みんなみんな困ればいいんだわ!

一度だけお家をふり返って、すぐにまた足を進める。
目の前のぎらぎらした街は、明るいはずなのに何処か暗い感じがする。
自分の服の裾を一度ギュッと握りしめて、思い切って飛び込む。

みんなみんな、困ればいいんだわ!