人生的選択極論

過去の話。



いつもの白いドアを開けると、
何もない部屋の中央に、女性型のロボットが座っていた。


「やあ、よろしく」


便宜的に挨拶すると、女性型のロボットも無表情のまま、


「ええ、よろしくお願いします、ミスター」


と答えた。
此処では、愛玩用ロボットの応答機能の最終調整を行っている。
ロボットの前におかれた椅子に腰かけ、手元の書類に視線を落とす。


「さて、まずは製造番号を答えてくれるかい」
「TSOL-2047です」
「オーケィ、そうだね。」


僕はカバンから林檎を取り出して問いかけた。


「それじゃ、これは?」
「これ?」


ロボットは少し首をかしげた。
恐らく“これ”という言葉の指す範囲が広すぎて認識に困っているのだろう。
手元の書類の最初の項目にチェックをする。
そしてロボットに視線を戻し再度問いかける。


「僕の右手にある果物だよ、分かるかい?」
「それは、林檎、です。ミスター。」
「そう、良くできました」


要修正項目をいくつか確認しながら、会話を進めていく。
ロボットとの簡単な会話。
実に単調な作業だった。

何日か会話を重ね、この個体について分かったことがある。
ロボットに、微々たる“個性”を与える為に行われる、頭脳中枢における乱数調整の影響か、人間で言うところだと、少々頭の回転が悪いようだ。
そういったタイプの個体を愛好する人間もいるが、こちらとしては、残業が増えそうで少々困る。

そして、また幾日か会話を重ね、ある程度違和感のない会話が可能になってきたある日。
思いの外長引いた作業のおかげで、外はすっかり日が落ちて真っ暗になっていた。
カバンから少し大判の、猫の写真を取り出していつもどおりにロボットに問う。


「さて、これは何かな?」
「写真です、ミスター」
「そう、写真だね。でもこの場合はこの写真の中に写っているものを答えてほしい。写真っていうのはそういうものだよ」
「分かりました、ミスター。…花瓶、バラ、机、窓、グラス、猫、空、雲…」
「待った待った待った、…あー…良いかい、この場合は、中心及び一番大きく写っているものに注目した方が良いね」


訂正をしながら、手元の書類にチェックを入れる。
ロボットは少しの間を開けて、


「猫、です。ミスター」


と答えた。


「そう、正解」


一連の訂正を終え、しばらく書類に目を落としていると、
目の前のロボットがふと声を上げた。


「ミスター」
「えっ」


通常、この段階のロボットが自発的に発言をするなんてありえない話だ。
驚いてロボットを見ると、ロボットは窓の方を見つめていた。
真っ暗な外と、明るい室内。
窓ガラスにはロボットが映っている。


「ミスター」


もう一度ロボットは声を上げた。


「何だい?」


そう問うと、ロボットは視線をガラスに映る自身に注いだまま、ぼんやりと問うた。


「“これ”は、何でしょうか」


“これ”が指すものが分からず、目を瞬かせてしまった。
けれどすぐに思い当って返事をする。


「それは、君だよ」


何のことはない、子どもが水面を見て驚くのと同じ話だ。


「分かりました、ミスター」


書類に視線を戻してしばらくして、またロボットが声を上げた。


「ミスター」
「何だい?」


ロボットはガラスに映る自身を眺めたまま、また疑問を投げる。


「“私”とは、何でしょうか」


ぞっ、と心臓を掴まれる思いがした。
こちらに構わず、ロボットは続ける。


「“私”は、なぜ生まれたのでしょうか?」


まさか、ロボットに自我が?
そもそも、現時点で自ら問いを発するなんてありえない話だ。
バグの可能性がある。
早急に、廃棄手続きをするべきだ。


「ミスター、“私”は、なぜ此処に存在するのでしょうか?」


いつの間にか視線をこちらに向けていたロボットが、
まっすぐに問いかけてきた。
僕はその視線にこたえることが出来ず、ただペンを置いた。




********




結局僕は上層部にバグ報告を送ることを先送りにし、
もうしばらくTSOL-2047、彼女と対話をすることにした。
自我を持ったロボットと出会うのは初めてだったし、
なにより、彼女との会話がだんだん楽しみになってきている自分がいた。

いつの間にか、質問する側とされる側が逆転していた。
彼女がぽろぽろとこぼす質問に答えていく。
彼女の質問は、パッと答えられないような、難しい質問であることが多かった。
あまりにも当然過ぎて、答えることが出来ない類のものだ。
そうしていつか、当たり前の事象に甘えていた自分に気づいた。
あるものをあるままに、何も考えずに受け入れていた自分に気づいた。
自分は、彼女と何も変わらないのではないだろうか。
ただ、人間であるというだけで、思考を止めてしまった自分は、
最早彼女と同じなのではないだろうか。
それなら彼女だって、僕と同じなのではないだろうか。
思考を止めた人間と、思考するロボットと。
いったい何が違うのだろうか。


あまりにも馬鹿げた話だが、いつの間にか彼女を“出荷”するのが惜しくなっていた。
彼女と、もっと話がしてみたい。
知的好奇心かもしれないし、曖昧な好意なのかもしれない。
ふと、頭の中に一つのアイディアが湧いた。
あまり現実的な考えではないし、もしかしたらこのシチュエーションに酔っているだけなのかもしれない。
ただ、僕は彼女の手を取って呟いた。


「僕と、一緒に逃げよう」


ありったけの勇気を込めたその言葉に、彼女はぼんやりとした瞳で、ゆっくりと答えた。


「分かりました、ミスター」


今の話。



街灯の一つもない真っ暗な路地だ。
煙った月明りがぼろぼろと道を照らしている。
何処かくぐもった空気に呼吸が苦しくなる。
いや、空気のせいだけではない。
さっきから走り続けて足はもうがくがくだ。
呼吸は荒れ、心臓は破裂しそうに鳴っている。
朦朧とした頭で考える。
ああ、次はどの道に入るべきか。
どの道も同じに見える。見える。見える。
海っぽい方をめざして走ってはいるが、入り組んでいて確信は出来ない。
ああ、上手く逃げ切れたら、きっと彼女を迎えに行こう。
大丈夫、見れば、すぐにわかる。
大丈夫、きっと、すぐに会える。
目が乾いたのか、涙が止まらない。
大丈夫、必ず、生きられる。
君と、二人で。
ああ、次の道はどちらに曲がるべきか。
今までどう進んできたっけ。
今までどう進んできたっけ。
今までどう進んできたっけ。
右、右?
右、左、左、右?
ああ、右に曲がるべきか、左に曲がるべきか、それが問題だ!
足を止めるわけにはいかない。
曲がり角は、すぐそこに迫っている。